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近況(2017-3-1) ついに・・

ついに、論文の初査読依頼が来た。タイトルを見たら執筆者が誰かすぐに分かった(笑)担当編集者を見たらこの分野の大御所だったので、なぜだか妙に緊張して手に汗をかいた。上手くコメントできるかどうか分からないが、誠実に頑張ります。

独り言(2017-2-28) 勉強グセ

・日々コツコツ勉強することの重要性を実感する。論文読んだり本読んだりして、重要な情報を温めたり新しい情報を取り込んだり…。少しずつ、一歩ずつ勉強してたら、それが何年も積み重なると、いつの間にか想像以上のところまで行ってるような気がする。僕は研究の才能はないが、コツコツ勉強する才能だけはあると思っている。そうやってコツコツ勉強してきたことが、いつの間にか自分の武器になってることを実感する。

・卒論は無事に終わった。皆様お疲れ様でした。みんな卒業していって、寂しくなるなぁ。

近況(2017-2-27) 二つの研究スタイル

・あるテーマで世界的に権威があって、相応にインパクト・ファクターも高い雑誌に論文を投稿するのが、意外と精神的に楽なことに気が付いた。どうせリジェクトされるって最初から諦めてるから、リジェクトが怖くない(笑)その雑誌で酷評されても、他にも投稿先が複数あるから気が楽。なかなかリジェクトされなかったり、査読に回ったりしても、「案外行けてる!」って喜べる。そして不思議なことに、そんな雑誌に投稿してみた論文達は、今のところ意外と順調に審査が進行していっている。

 

・「地域生態保全学」の観点から取り組み、国内の地方の和文誌に投稿する予定の論文については、学術的な面白さではなく、「保全の根拠を提示する」という点で面白くてやりがいがある。論文も書いていて楽しく、充実感がある(自己満足のためにやってるわけではないが・・)。インパクト・ファクター等とは無縁だが、こういう研究の方が僕は内心好きだ。

近況(2017-2-26) プラス思考

日常的に、些細なことから大きなことまで、嫌なことや満足できないことはたくさんある。でも、些細なことでもマイナスに考えたら、ストレスになるし、発想がマイナスの方向に引っ張られていく。生きていたら、嫌なこと、嫌な人は避けられない。では、どうするか?一つの解決策は儒教の「八正道」だと思う。砕いて言えば、「見ざる。聞かざる。言わざる」、そして、「思わざる」と表現できる。出来るだけ、嫌なものを見ず、嫌なことを聞かず、嫌な人と会わない。嫌な思いをしても心に残さずに忘れてしまう。自分のいい感情を振り起してくれるような、いい事物に接し、いい人との付き合いを大切にする。

 

こういう方法もあるにはあるが、なかなかそうは言ってられない。どうしても嫌なことを避けることが出来ない。ならどうするか。プラス思考で締めくくることが効果的だと思う。嫌なことがあって、マイナスなことを考えても、そこで思考を止めてしまわない。やや強引にでも、あえてメリットを挙げてみる。嫌な人に対しても、悪いことを並べた後、そこで終わらずに「でもそれは、こういう点から見れば僕にとっていいのかもしれない。それにあの人には、こういう良い所もあるから、あまり悪くも言えないな。他にもっと酷い人がたくさんいるし」等といった感じで、最後を必ずプラスの言葉・思考で締めくくる。そうすると、ストレスは軽減され、自然と前向きに生きていける。これは、心の技術、考え方の工夫という点で仏教的か。

近況(2017-2-25)  顔なじみ

・お店の定員(異性)と仲良くなり、相手の警戒心を解いて安心させ、連絡先を交換したり食事に行くには、まずその店に何回も通い、その子との接触頻度をかせぐ必要があると思う。相手が図書館の従業員の場合も、図書館に数日~数週間に1度の頻度で行って相手に顔を覚えてもらい、数秒の会話を重ねるところから始まる(笑)気付いたのだが、自分がどんな本を借りていくのかを相手が見てるわけだから、本の表紙で間接的に自己紹介できる。表紙をネタに一言二言の会話をすることもできる。まずはこれから始めることにした。借りたい本を見つけて、その子が座っているカウンターに行くとき、ドキドキする(おい、おっさん・・)。それにしても、今週は2日間に1度のペースで図書館に行ったので、ちょっと突然行きすぎかな。

 

なに真面目にやってんだろ、俺(笑)

 

あと、研究室内・同研究グループ内での恋愛(積極的なアプローチ)は、やめておいた方が無難かもしれない。双方逃げ場がないし、いろんなところで気を遣う。三角関係のリスクも高い。僕は原則やらないことにした。まぁこれまでもやったことがないが・・

独り言(2017-2-24) 自由

潔癖すぎたら精神を病んでしまう。自分を許し、人を許して生きていくと心は伸び広がって自然体になる。倫理や道徳、社会性等は自分を律するためのもので、人を責め裁くためのものではない。でも、自分を責めすぎてもいけない。失敗は次に活かすための教訓・成長の糧にすべきであって、それ以上に自分を責めるのは、心の不調、おおげさに言えば、精神の病だと思う。

 

ありのままの自分を受け入れることが出来ているか?他人に「模範解答」を押し付けていないだろうか?気持ちが晴れない時は、自分に問いかけてみたら分かるかもしれない。

 

昔、知り合いに「私はあなたを許します。私が自由になるために」という言葉を教えてもらった。出典は不明だが、ずっと僕の心に引っ掛かっていた。もしかしたら、逆に「私は自分を許します。あなたを自由にするために」ともいえるかもしれない。

天啓

今日、家の近くを歩いていたら偶然見つけた。このまえ通った時は違う看板だったのに。昨日ブログで将来への不安を語ったから、きっとそれを読んだお地蔵様がいたんだな(笑)f:id:mitsunorinakano:20170223144812j:plain